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ベテランコピーライターで新米ママの本音 vol.1

今回のゲストは、心がほっこりと温まる、ヤマサ醤油の数々の名コピーで知られるADK神戸海知代さんです。営業として広告業界に入ってからコピーライターに転身、40代になってのご出産など、等身大のお話をお聞きすることが出来ました。軽やかで自然体な神戸さんのお人柄が感じられるインタビュー前半戦。お楽しみ下さい。(取材日:2015年8月)

山あり谷ありの修行時代

ADKに入るまでのキャリアを教えて下さい。

私は元々関西の人間で、最初に就職したのも関西にゆかりのある大広でした。OJTが終わってから配属されたのが営業だったのですが、たまたま研修のお題に出ていたラジオコピーで、実際の仕事の競合プレゼンに勝ったんですよ。

それがラジオCMになった時に「クリエイティブって面白いな」と思いました。実は就職活動の時からろくに企業研究もせず広告会社に入ったので、本当に何も知らずに研修を受けていたんですよ。ところが自分の出したものが使われて、現場に立ち会ったりすると、すごくクリエイティブに行きたくなってしまって。当時の部長に相談したら、その方がまた良い人で、「本当になりたいんだったら、一から勉強した方がいいんじゃないか。君はあんまり調べていないだろ」と言われて、「そうです」と。(笑)

それで宣伝会議に通わせてもらったのですが、会社から講座に入ろうとしたら、運良く一般クラスではなく専門コースに入ることができました。それがきっかけで、当時講師をされていた現シンガタの佐々木宏さんの友達、広瀬正明さんがコピーライター事務所を立ち上げるということで、面接に行き、働かせてもらえることにもなったんです。当時ラコステやモスバーガー、ブライトリングとかの広告で有名な広瀬広告事務所へ、アシスタントとして入りました。もちろん当時は経験なんて全然無いので、お茶汲みや掃除、月曜朝のミーティング時に出す朝ご飯作りなどと平行してコピーを書かせてもらっていました。

はじめは仕事になりませんでしたが、何度も何度も書いたり書き直したりしていくうちに、モスバーガーやいくつかの仕事で書いたコピーが制作物になりました。すごくボリュームがあって、読み物や地域キャンペーンのツールなどを、事務所で徹夜しながら書いたりしていましたね。

事務所が飯倉片町にあったのですが、いつでも残業して帰れるように、事務所から歩いて帰れる西麻布3丁目で、地名にそぐわない、すごく安い家を見つけて住んでいました。たまに解放されたりすると、日頃溜まっていたものを発散してグワーっと飲んだり。(笑)

Q:お子さんはおいくつですか。
神戸さん:7カ月です。7カ月過ぎたところです。写真見ます?

ADKに入ることになったのはなぜですか。また、働き方はどう変わりましたか。

今のADKに入ることになったのは、知人経由でのご縁です。それまでの仕事に対しての不満は全くなかったんですけど、貯金なんかも切り崩していて、このままいくといろんな人にお金を借りちゃう、という感じだったので。

小さな、5人しかいないコピーライター事務所と、代理店でコピーを書くのとでは、労働環境やスタンスも全然違いますね。貧困というところからは救われましたが(笑)、書くことに集中する作業から尺度が変わり、環境に慣れず苦労もしました。

事務所にいる時はどんどん良いものへ、と集中できる環境がありますが、代理店は、クライアントからのオーダーや物理的なコストなどの課題が複雑ですよね。チームの打ち合わせの数も全然違います。打ち合わせを全て理解するのが自分の課題だと思ったほど。

「なぜ打ち合わせで課題が解決しないんだろう」とか、「なぜ持ち越しになるんだろう」とか、「なぜ議論を覆してしまうんだろう」とか。そういうのに慣れるには、しばらく時間がかかりましたね。

諦めてからの妊娠

ご結婚から妊娠までのストーリーを教えてください。

結婚は、偶然ですが平成10年10月10日で(笑)、旦那さんは大広時代の同期です。

出産については、私実は、家族計画があって子どもを生んだ訳じゃないんです。まさか自分が母親になるとは思いませんでした。

妊活していた時期もあったのですが、なかなか上手くいかなくて。人工授精は勇気が無くてしていなかったのですが、通院して、お薬をもらっていました。38~42歳くらいまで、5年くらい続けていたと思います。週末など、仕事の合間に通院していましたね。最後には「もういいや」という感じで。

諦めたのは、良い兆しが無かったことも大きいですが、薬が合わなかったことが理由として大きかったです。気持ち悪くなるんですよ。私は元々風邪をひいても薬を飲まないくらい、薬が嫌いなのですが、投薬療法とタイミング療法だと、薬を飲まないわけにはいかない。しんどいな、気持ち悪いなと思っても飲まなくてはいけないんです。もしかしたらチャンスがあるかもしれないと思うとやめられなくて、辛かったですね。人にも相談できませんでした。

それで、妊活を辞めた2年後に妊娠が発覚。もう子どもはできないものだと思っていて、夫婦2人、もう自由に過ごそうと思っていた矢先の自然妊娠でした。それもたまたま、別の理由で婦人科に行った時に、です。「10週ですよ」なんて言われて。本当にビックリでした。私もビックリ、旦那もビックリ。「これドッキリ?」って。(笑)

見えざる手にチャンスを頂いたんですね。ただ、こうした背景ですから貯金なんかもしていなくて。私にママのインタビューなんて務まるかな、と不安だったんですけど、後輩の女の子から応援されたんです。今一番、こうした話題を目の当たりにしている世代が仕事や出産のことにすごく関心を持っていたので、取材を受けようと、腹を決めました。(笑)

妊娠が発覚してから、どのように仕事をされたんですか。

私はつわりが全然無かったので、産休に入るぎりぎりまでフルタイムで働いていました。産前休暇は12月1日から取りました。産休直前にやっていたのは、ファイザーの「こどもと、おとなの、肺炎球菌感染症対策」CM動画です。

こどもの夢、おとなの夢A

こどもの夢、おとなの夢B

ちょうど1年前の8月6日も撮影に立ち会っていたんですよ。朝6時に渋谷へ集合し、ロケバスに乗って。妊娠5か月でした。撮影をするのは、1歳6か月の男の子、4歳の女の子、7か月の女の子、2か月の女の子、5歳の男の子に2歳の女の子、そしてその家族。これも巡り合わせですかね。ちょうどこれから母親になろうとしていた自分にとっては、またとない貴重な体験だったなあって。行く先々で、出演者の先輩パパや先輩ママにアドバイスをもらったり、子どもたちにお腹をさすってもらったり。ご利益のある盛りだくさんの幸せな撮影でした。この頃は、妊娠して仕事をセーブすることに不安だったのですが、そのことを知ったCD始め、理解あるチームメンバーが、私のロケへの参加を温かく見守ってくれて、とても嬉しかったです。

[PROFILE]神戸海知代

兵庫県生まれ、滋賀県育ち。大広の営業、広瀬広告事務所のアシスタントを経てアサツーディ・ケイのクリエイティブに所属。2014年のクリスマスイブに男の子を出産、育児・家事・仕事に奮闘中。日経広告賞(三菱マテリアル)、文化放送ラジオCMコンテスト・天野祐吉賞(シャープ)、ACC賞、消費者のためになった広告コンクール(政府広報)、ロンドン国際広告賞(大塚食品)、TCC新人賞、日本雑誌広告賞・経済産業大臣賞(ヤマサ醤油)などを受賞。広告は心理学だと考え、きめ細かい提案と実践を常に心がけている。

略歴

1969年
出生
1992年
就職
1996年
コピーライターに転職
1998年
結婚
2014年
12月24日 男児出産
産休・育休後、同じ職場に復帰

最近のお仕事

  • ・ふたりの関係が冷めたと思ったら まず、台所で火をつける。(ヤマサ醤油 昆布つゆ)
  • ・ふたりでゆっくり、話をしたいから。今夜は一品、ふやしてみる。(ヤマサ醤油 昆布つゆ)
  • ・あの人と暮らして好きになった、食べものがいっぱいある。(ヤマサ醤油 鮮度の一滴)
  • ・おいしいと言うかわりに、あの人はおかわりしてくれた。(ヤマサ醤油 鮮度の一滴)
  • ・こどもも、おとなも、ワクチンで守られますように。(ファイザー こどもと、おとなの、肺炎球菌感染症対策)
  • ・ちょっと、セブン銀行へ。(セブン銀行 みんなのATM。)
  • ・会議の出席率は、お弁当が決める。(スターフェスティバル ごちクル)
  • ・人は人生の半分以上を、年齢とたたかっている。(シロノクリニック 企業)
  • ・+R 未来を生みだす人になる。(立命館大学 タグライン)
  • ・Creating a Future Beyond Borders 自分を超える、未来をつくる(立命館大学 学園ビジョン)
  • ほか