コロナ禍の出産レポ① ~切迫早産で緊急入院~【ママクリ奮闘記】
コロナ禍の出産レポ① ~切迫早産で緊急入院~
こんにちは、ライター・コラムニストのせきねみきです。今回は、次男の妊娠判明から妊娠中期の緊急入院までのエピソードをつづりたいと思います。長男の妊娠中は、つわりこそひどかったものの、妊婦生活はおおよそ順風満帆でした。しかし次男の妊娠中は一筋縄ではいかないことが多く、想像以上に大変な日々を過ごすことに……。
妊娠がわかり、産院を決める段階でいきなり1つ目のハードルが現れました。当初、6年前にお世話になった近所の個人産院で分娩を希望していました。ところが、初診時に院長先生がおっしゃったのは「前回の分娩で出血量が多かったことと高齢出産という状況を考慮すると、総合病院での出産をおすすめします」という言葉。後ろ髪を引かれる思いでしたが、院長先生をとても信頼していた私は、大学病院で出産することにしたのです(のちに、この選択に感謝することになります)。
その後、安定期に入るまで特にトラブルらしい症状はありませんでした。体にちょっとした異変を感じたのは、妊娠7カ月に差し掛かったある日のこと。幼稚園へ長男を迎えに行く途中で突然の腹痛に見舞われました。前傾姿勢でないと歩けないほどの、生理痛をぐっと重くしたような痛みです。5分ほどで痛みは引きましたが、翌朝少量の出血があったため、病院に電話して朝イチで診察を受けることになりました。
診断結果は切迫早産。前回の健診で4cm以上あった子宮頚管の長さが2.8cmになっていたそうです。担当医から「3cm未満は黄色信号、2.5cmを切ったら赤信号です。今日から入院しましょう」と告げられ、頭が真っ白になりました。このタイミングでの入院は、まったくの想定外です。
心臓がバクバクした状態のまま急いで自宅に帰り、無我夢中でスーツケースに荷物を詰めました。そしてタクシーを呼び、再度病院に向かう前に立ち寄ったのは、長男の通う幼稚園。幼稚園の先生にお願いし、登園中の長男に直接入院することを伝え、ハグさせてもらったのでした。
コロナ禍での入院ということで、病室に案内されて最初に行ったのは人生初の抗原検査。その後、ベッドに横になってお腹の張りをモニターで確かめたり、薬を処方してもらったり、入院書類にサインしたり……。ふと窓の外を見ると、あっという間に日が暮れていました。
入院中の唯一の楽しみは、夕食後の家族とのビデオ通話。私が不在で相当迷惑をかけているだろうと想像していたのですが、夫に「むしろ普段より規則正しく生活できているし、問題ないよ」と言われ、複雑な気持ちになったのを覚えています。私が担当していた長男のお迎えも、夫がほぼ在宅勤務だったためなんとかなったとのこと。お弁当づくりは入園当初から夫の役割でした。
トイレとシャワー、内診室での診察以外は基本ベッドの上で過ごす、いわゆる絶対安静の生活を続けること1週間。子宮頚管長は奇跡的に3.2cmまで戻りました。当初2週間予定と言われていた入院期間をいったん終え、自宅での絶対安静生活に突入します(次回に続きます)。
■こちらの記事には続きがあります
【ママクリ奮闘記】コロナ禍の出産レポ② ~安静生活の心強い相棒~
【執筆者】せきねみき