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長く働くって決めたら、頑張りすぎてもダメだと気がついた―読売広告社 コピーライター/プランナー 小原裕美子さん【輝く!ママクリ】

仕事に、家事に、育児に…、忙しいけど面白い! 今、巷で活躍しているワーキングマザーを取材しました。第2回は、読売広告社のクリエイターの小原さん。2児のママと広告の仕事を両立するための工夫や仕事への思いを教えてもらったので、ご紹介します。 

1 経歴や職場・家庭の状況は?

東京・赤坂に本社を置く読売広告社は、不動産、都市開発事業の広告コミュニケーションや、アニメコンテンツ・キャラクターの版権事業などIPビジネスにも精通し、社員数は約600人(2023年4月現在)でありながら、総合広告会社としての機能をフルラインで提供しています。2003年からは、博報堂DYホールディングスの傘下で、広告ビジネスの領域を超え、新たな事業創造にも取り組んでいます。クリエイティブのセクションで、コピーライター・プランナーとして働く小原さんに、まずは、ご自身のご経歴について、お話を伺いました。  

株式会社読売広告社 マーケットデザインユニット クリエイティブセンター 第1クリエイティブルーム コピーライター/プランナー 小原裕美子さん

――ご経歴について、簡単に教えてください。

小原:新卒で入社して、当初は、新聞や雑誌などのメディア部署からキャリアが始まりました。もともとクリエイター志望だったので、宣伝会議の「アートディレクター養成講座(ARTS)」に通うなどして、30歳前後で社内試験を突破。クリエイティブの部署へ異動しました。
 
今は、その時の役割に応じて「コピーライター」「CMプランナー」「クリエイティブディレクター」といった肩書で仕事をしています。

――お子さんは現在、何歳ですか。

小原:小学2年生と1年生で、8歳と7歳になります。2014年と2016年に出産しました。

――育児休暇は、どれくらいの期間、取得しましたか。

小原:仕事がすごく好きだったのもあって、早く戻ってこようと思っていたんです。会社の制度としては、育児休暇は1年間取れますし、保育園に入れなかった場合は3歳まで延長できるのですが、私は半年で戻ってこようと考えていました。

当時は、保育園の待機児童がすごく多くて…。第一子は9月生まれだったんですけど、4月の入園を逃すと、他の時期には入れないと聞きました。そこで保活(子どもを保育園に入れるために保護者が行う活動)をして、なんとか入園が決まって。職場復帰できることになりました。
 
ただ、ちょうどその時に第二子を授かりまして、体調のこともあるし、大事をとってそのままお休みをいただくことにしました。復帰の準備を始めていたので、上司には申し訳ないと思いながら相談しましたが、上司も「びっくりしたけどよかったね。大丈夫、いつでも待っているから」と言ってくれました。
 
第二子は1月に出産したのですが、その年の4月に保育園に入園しました。その時も、4月を逃すと入園が難しいといった話があって。コントロールできないけれど、産むタイミングって結構大事なんだと思いました。

――仕事と家事・育児への両立に不安はありませんでしたか。

小原:休暇中に、人事担当の方がヒアリングをしてくれましたし、私の場合は、第一子の出産後に復帰を予定していたこともあって、2年弱の離職でしたが割とスムーズに復帰できました。
 
また、当社には育児休暇後も、時短勤務(育児短時間勤務制度)のほか、フルタイムで時差出勤ができる制度があります。当時は9時半から17時半が定時でしたが、30分前倒しで9時から17時までの勤務をしていました。残業はしませんでしたが、それでも裁量のある仕事を任せてもらえました。上司もすごく理解があって、いわゆる「イクメン」のはしりというか、「自分も自分で子どもを育てたいから、気持ちがわかる」と言ってくれて。
 
当時は2015年に女性活躍推進法が成立して、仕事を続けたい女性が働き続けられるよう、職場環境を整備する流れが企業側にも出てきた頃だったので、タイミングも良かったのかもしれないですけど。今もその流れで、会社も動いてくれています。

2 仕事の工夫や今後のキャリアは?

続いて、広告のお仕事のやりがいや工夫について、伺いました。印象的だったのは、「働くママの声が求められている」ということ。小原さんのようにリアルな声を発信していくことが、働くママを支えるサービスや商品開発にもつながり、社会に良い循環を生むのだと思いました。また、小原さん特有のぽかぽかとした陽だまりのような雰囲気も魅力的で、インタビュー中、こちらまで温かい気持ちになりました。

ワークスペースでの作業風景

――就職の際に、広告会社を選んだのはどういった理由でしたか。

小原:もともとはビジュアルとかクリエイティブ表現にすごく興味があって、難しいことを簡単に表現したりとか、一枚の画で見る人の世界観を変えたりするのがいいなと思っていました。そういうところで力を尽くしたいと考えていましたが、クリエイティブのセクションはかなり人気で、なかなか入れず。今も人気はありますが、当時は本当にすごかったです。

――クリエイターの仕事の中で、やりがいを感じるのはどんなことですか。

小原:広告主、生活者、いろいろな人の気持ちを考えて企画する仕事だと思っているのですが、気持ちを想像して組み立てていくことが楽しいんです。企画が採用されたりすると、お客さまが「こんな風に考えてくれたんですね」と喜んでくれるし、最近だとSNSなどで見た人からの反応を見られるのも楽しいです。自分が好きなことをやっている中で、社会に何か還元できたり、物が売れて喜んでもらったり、物を買った人も嬉しい気持ちになってくれたり…。そういうことに貢献できているのかなと思うと、嬉しいんです。

――仕事をする上で、家庭との両立で大変なことはどんなことですか。

小原:月並みですが、子どもの体調不良は突然やってくるので、大変ではありましたね。保育園に預けても、すぐに帰されるということが必ずあって。インターネットでママたちの体験談を見て、そうなるんだと知ったら、1日か2日か、仕事を前倒しで終わらせるようにしています。そうしないと、いざ保育園に呼び出された時に、本当に大変なことになってしまうので…(笑)。

職場は、人にも環境にもすごく恵まれていて、見守ってくれる雰囲気がありますね。上司や人事部もどうしていいかわからない状態もあったと思うんですけど、何でも相談してね、というスタンスでいてくれました。

――育児や家事の経験が、仕事に生きると感じたことはありますか。

小原:時代の流れもありますが、働くママ関連の商品が世の中に増えてきて、その開発やプロモーションのために当事者の声が必要とされることがあります。例えば、幼児学習とか知育玩具、それに子どもも含めた家族みんなが食べる食品やお菓子、あとは家電とか。会議をするにしても、昔はパパが「自分の妻はこう言っていた」と伝聞で話し合っていたのが、当事者がいるならアサインしようとなり、呼ばれる機会が結構あります。
 
そういうときに全部本音を言うと、「そんなことを考えていたのか…」なんて、変な雰囲気になることもありますけど(笑)。働く母としての大変さは偽らずに伝えてきました。相手側も、いい話が聞けたということで、仕事にもつながりました。

――今後のキャリアについて、どうお考えですか。

小原:去年、同年代の人たちが昇進したり部下を持ったりし始めたことにふと気がついて…。今考えているところではあります。ただ、子どももまだ小さいし、タイミングもありますので、あまりこだわりや焦りはありません。自由に働かせてもらっている中で、会社に貢献しながらも、自分は自分でイキイキと働けたらいいかなと感じています。
 
それに、会社はなんだかんだいってチーム戦。クリエイティブのセクションは現在およそ30人います。子育て中の社員や出産を予定している社員は、たまたま同じ部署にはいませんが、会社全体では常にいる状態です。もし、産休・育休から仕事に復帰して、戸惑っている社員がいれば助け役になりたいですね。当社には、産休・育休を経験した社員が、同じ経験をした後輩社員の相談に乗る「ぱぱままメンター」制度があり、私もメンターの一人です。安心して産休・育休が取れるよう、会社もいろいろ考えてくれています。
 
若い世代には、ロールモデルがいないと悩んでいる人も多いようです。先輩ママの中にも、バリバリ仕事をする人もいれば、ゆったり働く人もいる、というように、さまざまなモデルになる先輩社員がいると良いのかなと思っています。

3 日々の暮らしの中で大切にしていることは?

とてもとても忙しいはずなのに、気負ったり身構えたりすることなく自然体な小原さん。そのための秘訣を、ご紹介します。「短距離リレーではなく、長く続ける長距離走に働き方を変える」という発想は、さすが広告クリエイター。とてもわかりやすい例えで、目からうろこでした。

――生活や家事の中で、大変だったことや工夫していることはありますか。

小原:よくある話ですが、最初はご飯づくりがつらくて。「毎日の献立決め」「育児しながら調理」この2つが大変でした。「献立決め」は、栄養バランス、好き嫌い、コスパなど考える要素が多く疲れます(笑)。そこで何も考えないで自動的につくるようにしようと思い、週末に予想日記を書いていました。そこで食事の献立をだいたい決めておき、かつ、土曜・日曜の2~3時間は夫に子どもの面倒を見ていてもらって、私はご飯づくりに専念し、つくり置きのおかずを5日分全部つくることにしたんです。それはそれでつらいものがありましたが…。なんとか乗り切りました。

――ご家族での家事分担はいかがですか。

小原:夫は弟や妹がいたので、子どもの世話に慣れてはいて…。ただ、気持ちはあるけど、やっぱり最初はできないというか。あるあるだと思うんですけど、女の人って、やらないと始まらないから全部やるじゃないですか。育児も、ご飯も、離乳食も。夫が同じように「自分がやらなきゃ」と思うようになるまでは、結構大変でした。
 
特に、うちの場合は年子でしたから。私ひとりで頑張っていたら、体調が悪くなったり疲れ過ぎたり、物忘れがひどくなったりした時期もあって。生活に支障を来したので、夫も察知してやるようになりました。最初は、「ご飯をあげておいてね」と言うと、白いご飯をただあげるだけだったんですよ! ちょっと信じられないですよね(笑)。けど、一つひとつ教えると、一つひとつわかってくれた。私自身も家事を完璧にこなそうとはせず、やらない範囲を決めて「これはできません」って宣言して、やりくりしていました。
 
とはいえ、「家事育児はすべて二人でやる」と決めました。しかも、名もない家事とか名もない育児まで。例えばごみを捨てるのも、ただごみを出すだけでなくて、何曜日に何を出すかわかっていて、ごみ袋の在庫をチェックして、なければ買っておいて、ごみを分別して…、そういうことも含めて、半分ずつだと決めました。
 
ただ、やってみると、育児のタスクが結構多くて。保育園だけでも、必ずお着替えを3着持っていく、ビニール袋を何個持っていく、持ち物には必ず名前を書く、イベントごとの出欠を何日までに出す、毎朝今日の調子と昨日の様子を連絡帳に書く…、ちょっと考えるだけでToDoがいっぱい。そこで徐々に、育児は私がメイン、家事や家のこと全般は夫がメインで見るようになりました。ご飯だけは私がつくりましたが、お皿洗いや掃除は夫が得意なので、もう任せた…ということにして。

――出産や育児を経験して、ご自身で変わったなと思うことはありますか。

小原:変わったのは、いい意味で、頑張らなくなったというか…。最初はどうしても頑張りたいとか、仕事も育児もしたいしプライベートも楽しみたいし、と思ってましたけど、無理がたたって体調を崩して…。ある程度、自分の限界を知ったんですよね。全部ってできないじゃないですか。そう考えたときに、みんなが助けてくれたのがすごくありがたくって。当たり前のことですが、頼っていいんだと思ったし、助け合いなのかなと思ったんです。できないことがあることも、当たり前のように思い知るわけです、出産・育児をする中で。何をひとりでできるような気になっていたんだろうと思って。
 
だから、逆にあんまり頑張りすぎてもダメなんだ、バリバリやることだけがゴールではなく、いろんなやり方があっていいのかもと。今までは、短距離リレー的な働き方をしていたけれど、これは長く働くと決めて、長く持続できるのがいいこと、と考え方を変える。これまでのように、常に120%の力で…では今の生活は持たないしダメだ、みんながそれではダメだ、と。力の入れどころを工夫したり、できないことはできないとちゃんと伝えて、できることで支え合うことが、チームプレーでの仕事を持続させる上で大切なことだと思っています。

――ありがとうございました。


【インタビュアー】シキノハナ

編集者・ライター 兼 華道家。東京都出身。ビジネス雑誌の編集長を経て、複合サービス企業へ転職。約16年間にわたり、広報を軸とした企画業務に携わる。現在はシキノハナを主宰。仕事に、家事に、育児に…と、忙しい女性を心からリスペクトし応援する。
<ホームページ> https://shikinohana.com/

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