「自分が好きな自分か?」この問いを大切にしたい―日本放送協会 音響デザイナー 千本木真純さん【輝く!ママクリ】
1 経歴や職場・家庭の状況は?
日本放送協会(NHK)は、判断のよりどころとなる公平・公正で確かな情報を届けることを第一に、生活がより豊かで文化的なものになるよう質の高いエンターテインメントを提供するなど普遍的な役割を担った公共メディアです。今回は、その中で音響デザイナーとして活躍する千本木真純さんを取材しました。まずは、ご自身のご経歴や育児休業の取得状況について、お話を伺いました。
――ご経歴について、簡単に教えてください。
千本木:2002年からNHKでアルバイトスタッフとして働き始め、採用試験を受けて、2003年4月に社員になりました。組織の改編や部の名称変更などはありましたが、入局から20年、ずっと音響デザイン部です。
大学はアメリカの学校で、入学時に専攻を決める必要がなかったので、入ってからやりたいことを見つけるという感じで。友人から勧められたのがきっかけで、オーディオプロダクション(音響制作)に出会いました。
サンフランシスコのラジオ局でインターンをしていて、そこに就職が決まっていました。ところが、卒業式の1週間前に急にその話がなくなってしまったのです。買収されたというのが、その理由でした。行き先がなく困っていた時に、偶然、友人が「あなたがやりたいのは、これじゃない?」と紹介してくれたのが、NHKの秋採用の情報でした。NHKは当時から職種別採用で、音響デザイナーとして就職できるのが魅力で、応募することにしました。友人には感謝していますし、やりたいことを口にしておくのは大事だなと思いましたね。
――お子さんの出産時期と育児休業の取得期間を教えてください。
千本木:2007年に第一子、2010年に第二子を出産しました。会社の産休・育休制度を活用し、取得可能な休暇をほぼ最大限に取得しました。第一子は1歳半まで、第二子は1歳半を迎えて次の春まででした。
復職には、準備の段階から苦労しました。第一子の認可保育園入園が決まったのは復職の2週間前。あまりにもドタバタだったため、第二子の際には先手を打とうと妊娠6カ月で近所の私立園へ行ったのですが、「入園希望104番目です」と言われ、これでも遅いのね…と、途方にくれました。子どもが保育園に入れなければ母親は復職できないということに、ようやく社会が気づきはじめた頃でした。「保活」という言葉もまだありませんでしたね。
――そのような社会環境で復職して、どうでしたか。
千本木:当時、「働く」ということは周囲の男性と同じように働くという意味しかなかったですし、仕事のやり方も、担当者が最後までやるという考え方が当たり前で、放送スケジュールが決まっている中で、最後の音の仕上げをする音響デザインの業務は、結構厳しかったです。第一子の時は、本当に不安しかなくて、絶対に両立できないと思っていました(笑)。
でも、就職するまでに紆余曲折がありましたし、仕事は楽しくてやりがいを感じていたので、簡単に辞めるのも悔しい気がしていました。それに、続けられないならば続けられないなりに、理由を伝えて辞めないと、次の世代の後輩たちが同じ目に遭ってしまう。だから、もし辞めるときは、改善すべき点をきちんと伝えてから辞めようと思っていました。
そのように思えたのは、今から16年前の時点でたった1人だけ音響デザイン部にいた、先輩ママのおかげです。その先輩ママは、私が復職を決めた時にすごく喜んでくれたのと、「先輩の武勇伝は聞くな」と言ってくれたのです。普通ならば、自分の経験を後輩に伝えると思うのですが。その方がおっしゃったのは、「あなたもママなんだから、親としてどうしたいか、職員としてどうしていきたいか、自分で考えた通りにすればいい。私は私、あなたはあなた。私を見習わなくていいし、他の部署にはたくさん先輩ママ社員がいて、こうやってきたという話をいっぱい聞くと思うけど、一切聞くな」と。あの時、こうやればできる、みんな工夫しているからあなたも努力すべき…なんて言われていたら、絶対に仕事を続けられなかっただろうと思います。だから、今でも感謝しています。
――上司や周囲の方の反応はどうでしたか。
千本木:いい意味で前例がなかったので、ちょっと勇気は要りましたが、困っていることなどは何でも言ってみたのです。そうしたら意外と、「なるほど」と周囲も納得して好意的に受け入れてくれました。
例えば、就業時間の前倒しを受け入れていただきました。当時は10時から18時30分が定時でしたので、制度最大の90分間短縮をしても退勤は17時。そこからのお迎えでは遅いと感じていました。そのため、勤務開始を前倒しにして9時からにしたいと伝えてみたら、「いいよ」と。業務についても、子どもの急な体調不良など、もしもの時のバックアップ体制がほしいと言ったら、先輩をつけてくれて。個人の課題を職場の課題として業務体制を検討してくださるなど、逆に恐縮してしまうほどでした。今も、勤務時間や体制はどんどん働きやすい形に変わっていっていますが、当時は本当にありがたかったです。
――ほかに、会社のサポートでよかったものや助かったものはありましたか?
千本木:人事局が主催の、復職前の職員を集めた座談会があり、第一子の時も第二子の時も参加しました。育児中の職員がいるのは当たり前という部署の人の話も聞けるし、逆にもっと厳しい働き方をしている人の話も聞ける。最新の制度の解説が聞けたり、悩みを共有できたりして、会社の空気がわかるという点でも効果的でした。
また、育児をしながら働く職員が使える制度や仕組みをまとめた冊子、「ペアレンツノート」には助けられました。両立支援の制度について、周囲にあまり詳しい人がいなかったので、重宝しました。
2 仕事のやりがいや工夫、働き方については?
続いて、音響デザインのお仕事の内容ややりがい、そして仕事と家庭の両立の苦労やその乗り越え方について伺いました。印象的だったのは、自分がやりたいキャリアや求めているキャリアと、自分がなりたい「お母さん」像をマッチさせられなかったという悩み。想像しただけで苦しいことですが、千本木さんは、周囲や後輩たちに励まされて、乗り越えることができたと言います。
――現在担当している仕事は、具体的にどんなお仕事ですか。
千本木:音響デザイナーの仕事は、テレビやラジオの番組を、「音」でわかりやすく伝えることです。私たちが扱う「音」には、音楽とSE(効果音)、声(ナレーション、セリフ)があります。音で何ができるのか、番組の企画が立ち上がった段階からグランドコンセプトを演出と一緒に考えて、例えば作曲家を提案したり、必要な音楽のコンセプトやリストをつくったり。そして、編集が終わった後、そこから放送日までのスケジュールの中で、音楽とSE(効果音)、全体の流れやバランスなど、音の設計をつくり込んでいきます。
私は、今は番組の担当ではなく、NHKで制作する番組の音響デザイナーの配置に関わる業務や、他部署からの相談窓口などを担当しています。各番組の音響デザイン業務担当者は、職員デザイナーだけでなく、契約をしている外部の協力会社の得意分野などを踏まえて配置を考えています。
また、関わっているのは音響制作そのものだけではありません。NHKには、映像に合わせて足音や衣擦れなどの動作音を録音する手法「Foley(フォーリー)」のための日本最大規模のスタジオがあり、放送初期からの先達の知恵や技術が蓄積されています。この特殊技能の実演者としての出演依頼や、音をテーマにした番組をつくりたいという相談など、いろいろな相談にアイデアを提供しています。
――仕事のやりがいや面白みは、どんなことですか。
千本木:音響デザイナーの仕事の根幹にあるのは、本当に伝えたいことは何かを考えることだと思っています。番組の核となるメッセージを音という手法を使って、よりわかりやすく、より豊かに、より深く刺さる表現を追求していきます。そこで職員デザイナーだからこそ、立ち上がった企画に対して、グランドコンセプトから関わっていけますし、一緒にものづくりができるのだと感じます。
そして、NHKならではだと思いますが、ただ面白い番組をつくるのではなく、その時々の社会情勢や空気感、表現の配慮、そういうところはすごく意識しながらつくります。これだけ個人が世界に向かって発信し、双方向でコミュニケーションが取れる時代でありながら、わざわざ放送で出すからこその規模感と仕上がりもあり、各分野のたくさんのプロフェッショナルに出会えるというところにもやりがいを感じています。
――仕事と育児の両立において、予想外に苦労したことはありますか。
千本木:NHKは、会社としての支援はどちらかといえば進んでいると思います。ただ、どんなに優秀な設計の制度やサービスも、使う側に気持ちよく使う心の準備がなければ、上手な活用は難しいものです。
というのも、私自身が最初は、きちんと「お母さん」をしたいという気持ちが強くて。昭和の下町生まれ下町育ちで、実家は自営業。両親と祖父母が暮らす家に育ち、家に帰れば「おかえり」と誰かが言ってくれる。家に大人がいてくれたことに子どもの頃の私は、心から感謝していました。
それに、振り返ればただの先入観なのですが、「お母さんが働いている家はかわいそうな家」という考え方が私の中に根強くあって、なかなか自分の価値観をシフトできませんでした。自分がやりたい・求めているキャリアと、自分がなりたい・なるべきお母さん像をマッチさせられなかったのです。
――価値観のギャップをどうやって乗り越えたのですか。
千本木:一番は、悩む暇がないほど忙しくて、とりあえず飛び込んでやってみたこと。うまくいかなくても、自分で「しょうがない」と許すのを繰り返していきました。お迎えが遅くなったとか、夕飯が手づくりだけではまかなえなくなったとか、そういう小さなものを1個ずつ、許していくことで生活を成立させていったのです。
子どもができて、新しい自分に出会う部分が、きっと誰にでもあると思います。できない自分を、少しずつ認めていかないといけない。最初は本当につらかったです。子どもが2歳くらいになり、なんでも自分でやりたがる時期がきて、朝、保育園に行く前に「自分で靴下を履きたい」と言い出します。本当はやらせてあげたいけど、履き終わるのを待っていたら20分も30分もかかってしまうから、私は待てない。それで子どもに「ごめん」って言いながら靴下を履かせて、自転車に乗せて。保育園に着いても、時間に間に合っていないから先生に「ごめんなさい」と言って、預けて大泣きしている子を見て自分も泣きながら駅まで走って。会社に着いても「遅刻してごめんなさい」、お昼ご飯に誘われても「余裕がないからごめんなさい」、みんなより早く退勤するから「ごめんなさい、お先に失礼します」…。ヘトヘトになって、私ずっと謝っているなと思っていました。
でも、ある時に思い立って、「すみません」や「ごめんなさい」を「ありがとう!」に置き換えてみたのです。すると、言霊とはよく言ったもので、自分と周囲の気持ちを前向きにしてくれたように思います。
そして、働くことにも早く帰ることにも後ろめたさを感じてしまう私に、たくさんの後輩たちが「うちの母も働いていて…」「千本木さん、帰ってください。私の将来のためにも!」と声をかけてくれたんです。共働きの両親を持っていた後輩が、子どもの目線で働く母親に対してどう感じていたかを聞かせてくれたことも。自分にはなかった価値観を学び、励まされてきました。
――子どもが成長して徐々に手が離れてくると、楽になったなという実感は多少ありましたか。小学校に入ってからはどうでしたか。
千本木:周囲からは小学校に入ったら楽になると聞いていたのですが、小学校に入った瞬間が一番大変でした。まさに「小1の壁」でしたね。
保育園は働いているお母さんへの配慮があって、保護者会をするにも17時半以降の開始でしたが、小学校になると、母親は家にいるものだと思っているのか、保護者会の開始が14時半とかなんですよね。当時は、在宅勤務制度も使いづらく、時間のやりくりが大変でしたね。
ただ、子どもがだんだん育ってきて、母親が音響デザイナーだということを、「かっこいい!」と言ってくれるようになりました。在宅勤務など働き方も広がり、家で仕事する姿を見て、興味を持ったり、そこに誇りを持ったりしてくれて。学校の宿題で、身近な職業について調べるという課題があった時に、「ママの仕事について調べて、学校でも胸を張って発表できた」と言ってくれたのは嬉しかったですね。私の子どもだからこそかけてしまう苦労もあるかもしれないけれど、「私はこの仕事がやりたいからやっている」と子どもに伝えられる自分でいるかどうかは、大切だったと思います。
3 日々の暮らしの中で大切にしていることは?
千本木さんは、母親が働いていた後輩からのアドバイスに励まされたと語っていました。私も両親は共働きで、幼い頃から平日の日中は家にいないのが当たり前の家でしたが、自分の人生を生きる母の姿を頼もしく思い、特に自分が不幸せだと思ったことはありません。むしろ、社会人になり仕事に悩んだ時に、良き理解者となってくれたのも母親で、感謝と尊敬でいっぱいです。千本木さんは、自分がやりたくてやっていることが大事だと言います。働くことに後ろめたさを抱える社会ではなく、どうやったらポジティブになれるかをみんなが考えていけたらよいなと思います。
――ご家庭内での家事分担はどのようにしていますか。
千本木:夫の仕事は時間が不規則なので、役割分担は決めずに、気がついた方ができる時にできることをやる方針です。お互いに不満はありますが(笑)。例えばお料理だと、私は日々の料理を数多く担当していますが、夫は週末にパウンドケーキを焼いてくれたり、スペシャルメニューを開発してくれたりします。逆に掃除は、夫が毎朝のようにまめに掃除機をかけてくれていて、衣替えなど大きなことは私が担当しています。
――普段の生活の中で大切にしているのはどんな点ですか。
千本木:自分が好きな自分か、という自分への問いをとても大切にしています。育児も仕事も、全部のことに対して、自分がやりたくてやっているというのが大事だと思います。
自分で選んだことだから、もう一日頑張ってみようとか、今日も一日なんとかなった、という体験を積み重ねながら、それが自信にもなっていったと思います。そして、こんな私の珍道中がゆくゆくは後輩たちのヒントになったらいいなとずっと思ってきました。一人の音響デザイナーとしてはトップデザイナーではなかったとしても、「音響デザイナーとして働きながら育児をする」という道を開拓したというか、私だからできたこと、自分の世代だからできたことはあると思っています。今も、この仕事を続けていることで、自分が好きな自分でいられる気がしています。
――ありがとうございました。
【執筆者プロフィール】シキノハナ